献身の証

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日本キリスト改革派 高知教会 小澤寿輔(おざわ としすけ)牧師

献身の証

ここでは小澤寿輔(おざわ としすけ)牧師が教職者となる決心をするまでの過程を紹介しています。

私は大学四年生になる頃、自分の将来像を思い描いていました。それは、地球環境保全の分野の専門家となって国連などで世界に貢献するというものでした。そのためには、英語が自由に操れ、大学院で学位を取得し、海外での実務経験を積むことが必要であるということを知り、アメリカの大学院に留学するという人生の一大決心をしました。大学を卒業するとすぐに、私は単身アメリカへ渡ったのでした。

留学先のコロラド州の教会にて。小澤牧師は最後列 右から3番目。

大学院入学前の語学留学中、私を家に住まわせてくださったクリスチャン夫婦に伝道され、彼らの集う教会に導かれ、三ヶ月後にはイエス・キリストを救い主と信じ受洗に導かれました。(そのお話については 「救いの証」をご参照ください。)彼らのまっすぐな信仰の姿から多くのことを学んだ数ヶ月の後、コロラド州にある大学院から入学許可をいただきました。コロラドにおいても外国人を暖かく受け入れてくれるバプテスト派と呼ばれるアメリカ人教会に導かれ、八年間信仰の歩みをすることが許されました。その教会の主日礼拝で語られるイエス・キリストの愛は、心に迫るものがありました。イエス・キリストが十字架に架かられたのは、その尊いお命と引き換えに人類を罪と永遠の刑罰の苦しみから解放する救いの道を打ち立てるためであったこと、そして、それがまことに私のためであることを改めて知り、感動のあまり心が震えました。この良い知らせ(福音)を本当に心に受け入れたとき、一人でも多くの人に福音を知って救われて欲しいと心底から願うようになりました。それからは、福音を伝えることが自分の中で重要な位置を占めるようになりました。ある友人は、私を通して福音を聞き、長い葛藤と模索を経て洗礼の恵みに与りました。「あなたに一生、いや永遠に感謝する」と言われたときには、喜びのあまり涙がこぼれました。もちろん感謝すべきはキリストです。でも、一人の人が救われて永遠に生きるようにされるために主に用いられたことの喜びは何ものにも代えられませんでした。

勤務先の国連環境計画(UNEP)パリのオフィスにて

自分の将来像を思い描いた年から十年後、主は本当に私の夢を実現させてくださいました。世界の環境保全事業に携わる国連環境計画(UNEP)に就職が決まるとフランスのパリに赴任となり、パリにある日本人教会へと導かれました。

「第17回 ヨーロッパキリスト者の集い」(2000年 オランダ)という日本人クリスチャンの修養会にて。
担当奉仕した高校生グループと小澤牧師(右端)。最前列中央は後に小澤牧師の妻となる路華(るか)姉

当時、ヨーロッパには日本語の教会や集会が四十ほど点在していました。しかし、その殆どが無牧でした。ヨーロッパの生活というと、華やかで魅力的に聞こえますが、実際にそこに住む日本人にとっては非常に厳しい現実があります。キリスト者も例外ではありません。御言葉を説き明かし、霊的ケアをする牧者のいない日本人キリスト者は、弱り果て、福音を語る力もなく、精神的疲労のために倒れてしまう人も少なくありません。そういう状況を知った私は、祈らずにはおられませんでした。「主よ、哀れな私たちのために牧会者を送ってください!」ところが、神からいただいた返事は「あなたがやりなさい」というものでした。主は、ある主日礼拝の説教の中で、イザヤ書六章八節の御言葉を通して私の心に語られたのでした。

「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。』わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。』」(イザヤ書 6章8節)

この御言葉とともに強い聖霊の迫りを感じた私は、礼拝中ずっと涙を止めることができませんでした。そのとき初めて「献身」を自分のものとして意識するようになりました。しかし、当時の私はイザヤのように素直に応答することはできませんでした。これまで十年かけて追い求めてきた「国連就職」が実現し、「地球環境保全分野の専門家として世界に貢献する」という夢がまさに実現しようとしているそのときに、取り去られようとしているのです。この夢の実現のために、私は多くのものを犠牲にしてあらゆる努力をしてきました。「せっかくあなたが与えてくださったこの職を手放せるわけがないじゃないですか」と、涙ながらに断ってしまったのです。

その後、無牧のパリ日本語キリスト教会の交わりに参加するうち、私の心は燃やされていきました。結婚後、月に一度行われる教会の「青年聖書の学び会」を我が家で開くと、人が次第に与えられ、一年後には二十人近く集まる会へと成長しました。その学び会を通して福音を聞き、信じて救われる人たちが起こされ、信仰を持ちたての兄弟姉妹が霊的に成長していく姿を目の当たりにしました。祈りつつ福音を伝え、ともに御言葉を学び、救いの恵みに与った青年の信仰成長を助けるという働きを通して、自分たちのような小さな器が主に用いられているということをこの上なく嬉しく思う日々を過ごしました。そして、同胞の霊的助けをするために主の働きに献身したいという願いが次第に強くなっていくのを感じました。しかし、どうしても実行に移すことはできませんでした。

パリの日本人教会 青年会メンバーと。
後に教会の招聘を受けられた稲垣博史牧師(前列右端)と緋紗子伝道師(最奥中央)を囲んで。
(小澤牧師は撮影担当)

そうこうしているうちに国連での三年の任期が満了し、日本で転職することになりました。次は日本の公的研究機関の研究職で、環境保全分野に専門的に取り組むのに最高の職場でした。主はある単立の教会に私たちを導いてくださいました。その教会で「広義の献身」と「狭義の献身」の二つの献身があることを学びました。クリスチャンは全員、キリストの十字架によって贖われた者なので、神に身を献げ、何をするにしても神に喜ばれる生活をすることが求められます。これは「広義の献身」です。でも、私に迫って来ているのはもう一つの「狭義の献身」でした。私は二つの価値ある生き方の間に挟まれて苦しみました。当時の私の職業は、神が創造された地球を持続可能な状態に保ち、私たちの子孫も同じ恵みを享受できるようにする働きの一端を担う、とても価値あるものでした。一方で人の救いとキリスト者を整えて確かに天国に送り出すという働きは、永遠に残る実を結ぶものです。この二つの間で心は揺れ動き、日々悶々としていました。その間、神の働きかけは絶えることはありませんでした。礼拝で語られる説教の言葉を通して、礼拝で歌われる賛美歌の歌詞を通して、何気なく目にする日めくりカレンダーの御言葉を通して、何度も「召命」の言葉を投げかけられるのです。でも、どうしても確信が得られなかったのです。ついに私は確信を求めて断食の祈りを始めました。苦しみの中で聖書を読みながら祈り続けていくうちに、私たち夫婦に与えられている使命が見えてきました。それはやはり「狭義の献身者」として神と教会に仕えるというものでした。あのイザヤ書の御言葉を通して召命を受けた日から、主に自分のすべてを明け渡す応答の祈りをするまでに、実に六年の歳月を要しました。

「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」(箴言 19章21節)

今振り返ってみますと、イエス・キリストに出会う前に環境保全の職に就きたいと願うようになったことも、留学や就職でアメリカやフランスに住むようになったのも、すべては神の大きなご計画とお導きの中で起こったことで、今、こうして牧師として主に仕えるために必要な備えの道であったのだと思います。神と教会に仕える者としては、まだまだ弱く足りない器ではありますが、これから先も許された人生のすべてを主にお献げし、喜びをもって、導かれるままに主に仕えていきたいと思います。ここまで人生を導いてくださった主に感謝し、すべての栄光を帰します。