救いの証

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小澤寿輔(おざわとしすけ)牧師の救いの証 留学、ホームステイ先の夫妻、洗礼式の組写真

救いの証

ここでは小澤寿輔(おざわ としすけ)牧師がイエス・キリストに出会い、クリスチャンとなるまでの過程を紹介してます。

私がイエス・キリストを救い主として心にお迎えし、洗礼を受けたのは24歳のとき、アメリカに語学留学して間もない頃でした。それは、私を家族のように温かく迎えてくれたホームステイ先のマークとパメラ夫妻を抜きに語ることはできません。

1991年5月 アメリカ出発前の小澤牧師の写真
アメリカ出発前の小澤寿輔牧師。写真の日付は1991年5月22日。

マークとパメラとの生活は、驚きの連続でした。それは、アメリカと日本の文化の違いによるものではありません。なぜなら、私はそれ以前にもアメリカに一年住んだ経験があったからです。では何が驚きなのか。それは、彼らの信仰が生活に密着していたことです。彼らはもうこれほど熱心なクリスチャンが他にいるかと思うほどで、毎週日曜日の朝と水曜日の夜に礼拝に行き、食事の前に手をつないで感謝の祈りを捧げるのは当然のこと、毎日夕食後に聖書の勉強をし、一日二節ずつ英語と日本語で聖書の言葉を暗唱し、怪我や病気を祈りで癒そうとし、なんと、週に一度三食の断食をするのです!一応、「断食するかしないかは本人次第だから自由に選んで良い」と言われます。でも、「はい、そうですか」と言って、空腹の二人を前に私だけ食べるわけには行かず、毎回イヤイヤ参加していました。

また、彼らは伝道熱心で、二人と一緒にいると初めにどんな話題で話をしていようが、最後には必ず聖書の話になっていて二人で私に講義をしているのです。私が語学学校の宿題や予習復習でどんなに忙しくしていても、そんなことはお構いなしで、旧約聖書に出てくるダビデとゴリアトの戦いのお話や、イエス・キリストの生涯や教えなど、毎日三時間は聞かされました。そういう毎日が三ヶ月続いたのです。時間は取られるし、正直言ってウンザリという気分にさせられましたが、“NO”と言えない私は、ただ彼らのお話を黙って聞くしかありませんでした。(お陰で英語の聞き取りが上達したのは感謝でしたが。)

コロラド州ホームステイ先のマークとパメラ夫妻
ホームステイ先のマークとパメラ夫妻

そんな彼らとの生活でしたが、毎週日曜日に彼らと共に教会に行かれるのは喜びでした。それはペンテコステ派といわれる教会で、会員は四十人程、開拓して間もないので会堂は無く、ビジネスホテルの会議室を借りて礼拝をしていました。教会に行ってすぐに気づいたのは、そこに集まる人たちが普通の人とはどこか違うということです。まず、目が生き生きとしていました。表情が喜びに満ちていました。礼拝は、讃美も説教も心に響くものがあり、気がつくと涙が頬を伝っているときもありました。また、互いに家族のように愛して受け入れ合う姿がありました。さらに、その愛を教会の中だけでなく、外の人たちと分かち合うことにも熱心でした。

ある金曜日の夜、マークとパメラが聖書を持って教会の皆と出かけると言うので何ごとかとついて行くと、全員で町の中心部に繰り出し、広場で讃美を始めます。祈り終わると、二~三人一組になって道々を練り歩きます。私も一つの組について行くと、驚くことに全く見ず知らずの人に話しかけ、イエス・キリストの愛について話をするのです。その相手とは、バーに入り浸りの人、売春婦、ホームレス、あてもなく道を行く人などです。お話をするだけではありません。食に困る人があればホットドックを作って食べさせ、着るものに困る人があれば教会員が出し合った古着を着せ、困っている人がいればともに祈り、神の御言葉に興味のある人には新約聖書をプレゼントします。一人でも多くの人がキリストの愛を知り、救いの恵みに与れるようにと、毎週夜九時から夜中の二時まで、このような働きをしていたのでした。英語ができず、信者でもなかった私は、当然何の役にも立ちませんが、ただ教会の人たちの情熱的な姿を見たい一心から、その後もその働きに同行させていただきました。

私は、教会の人たちのこのような有り様を目の当たりにして、人生において非常に大切な何かを学んでいるような気がしました。そして、彼らを心から羨ましいと思いました。「彼らには、普通の人とは違う何かがある」、「それはいったい何なのか?」その答えはイエス・キリストの神にあることは、容易に想像がつきました。けれども、彼らのようになるには、どうすれば良いのか分かりませんでした。

ある日の夕方、パメラさんがちょうど良いタイミングで、私に次のようなことを教えてくれました。それは、

  1. 私は生まれながらにして罪人であるので、その罪のために神の怒りと裁きを免れることはできず、私を待っているのは永遠の死であるということ
  2. 誰も自分で自分を罪から救うことはできないこと
  3. 御子イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、人を罪から救うために身代わりとなって神の裁きを受けるためであったこと
  4. その十字架の死は、まさに私のためであり、私を愛しておられるゆえであること
  5. その愛に応えて悔い改めの祈りをし、イエス・キリストを自分の救い主と信じて告白すれば、私も罪が赦されて天の国に入ることができる

…ということでした。パメラさんは、そのイエス・キリストを信じるお祈りをしたいかと聞いてきました。今振り返ると、当時の私がこの良い知らせ(福音)をどこまで理解していたのかよく覚えていません。けれども、あのときの私は、確かにイエス・キリストを信じていました。“YES”と答えると、パメラさんに祈りを導いてもらい、私はイエス・キリストを自分の救い主として心に受け入れたのでした。

それから間もなくして、ある日曜礼拝の中で、私は洗礼を受けたいという気持ちが与えられました。そのことをマークとパメラ夫妻に伝えると、とても喜んでくれ、すぐに牧師に話をしてくれました。数日後、牧師が家にいらしてくださり、私の受洗の意志を確認されると、翌月には五大湖の一つ、エリー湖で洗礼式をしてくださったのでした。そのとき、私の中で特別何かが変わったという感覚はありませんでした。けれども、確かにそれは、天と地を造られた唯一まことの神がいつも共にいてくださる人生の始まりでした。

1991年 エリー湖で洗礼ウを受ける小澤牧師
1991年8月21日 エリー湖での洗礼式。左から4人目が小澤寿輔牧師。

あれから25年を経た昨年、パメラさんが長い闘病生活の末、息を引き取られたという知らせを受けました。それまでの間、ずっと離れていたとはいえ、深い悲しみを覚えました。そして当時のことを振り返り、改めてパメラさんに心から感謝しました。26年前、もし彼女に出会っていなかったら、もし彼女に無理やり聖書の話を聞かされる毎日が無かったら、もし彼らの集う教会に行かせていただくことがなかったら、もし彼らのクリスチャンとしての生き様を目の当たりにすることがなかったら、今の私はどのような人生を歩んでいたのだろう。私は、改めて気づかされました。マークとパメラ夫妻との出会いは、私の一生を、いいえ、私の永遠を変える宝のような出来事だったことを。そのような出会いを用意していてくださった神に心から感謝します。マークとパメラ夫妻を通して出会ったイエス・キリストにこれからもお従いし、神に喜ばれ、神を喜ぶ人生を歩んでいきたいと思います。