教会員の声(救いの証)A.S.さん

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教会員の声(救いの証)A.S.さん

高知教会の教会員による証しを少しずつ紹介していきます。今回は、A.S.兄の救いの証しをご紹介します。

「救いの証」
A.S.兄

1.イエス・キリストと出会う前の私
 私は子供のころから「勉強しろ!」と親から言われたことはほとんどありません。1950年代、私の育った地域では、これが当たり前だったように思います。その代わり、よく言われたのは、「人に迷惑をかけるな」、「人が嫌がることはするな」、「親に心配を掛けるな、それが一番の親孝行」、「石の上にも3年」、「損して得取れ」、「真面目にやれ、見てくれる人は必ずいる」、「聞くは一度の恥、聞かぬは一生の恥」等の生きる心得のようなものでした。親元を離れてからの私は、無意識のうちにそれを実践していたようです。

 初めて働きだした航空自衛隊では、真面目に働き、学び、公的、私的を問わず先輩たちを質問攻めにしました。つけられたニックネームがホワットマンです。いつも前向きに、期待に応えるため、毎日追われるように生きていたように思います。
 
 わけあって民間会社に転職した後の23歳の頃、ある目標達成のため、毎日仕事帰りにプールで泳いでいたときのことです。身体の調子を崩して入院しました。退院後は疲れやすいうえに、病院通いも続いて気弱になり、将来に対する言い知れぬ不安を感じていました。

2.救い主イエス・キリストとの出会い
 数年後、通院の必要はなくなりましたが、以前のような元気は戻らず、不安感も続いていました。が、だからこそ、ここで何か目的意識を持って前に進まなければ、と思っていたら、ちょうど会社の寮で英会話の生徒募集の案内があり、説明会に出てみました。

 そこに、通訳として同席していた二人のアメリカ人宣教師がおりました。この場違いとも思える形でお会いしたお二人の第一印象は、誠実は勿論ですが、そういう表現が当てはまらない、人種の違いを超えて、人そのものを引き付ける魅力を持っている人たちでした。英会話事業者側の紹介によると、たまたま日本人の通訳が見つからず、困っていたら、誰かにこの宣教師を紹介されたそうです。

 英会話も週一回の一年契約で始まりましたが、10人近くいた寮生たちは終了間際には二人になっていました。その頃には友人のような関係になっていた若い講師の宣教師から教会でも英会話をやっているから来ないか。と言われ、行った〇〇聖書教会での英会話に続き、聖書の学びがあり、日本人牧師からの解説がありました。

 この時、初めて開いた聖書の箇所が、旧約聖書 創世記一章一節、「初めに、神が天と地を創造した」の箇所でした。私は、その創造の経緯に驚き、キリスト教のいうこの神をもっと知りたくて、聖書を購入して読み始めました。そこに書かれている内容は新鮮、且つ、驚きの連続で、3カ月後に一回目の通読を終えました。しかし、聖書のいう「罪」の箇所にくると、私は警察に捕まることは何一つしていない。人に迷惑をかけず、真面目に一生懸命生きて来たと、いう自己義認からくる反発がいつもありました。

 しかし、これまで日々、追われるように生き、身体を悪くしていた自分にとって、「初めに、神が天と地を創造した」というこの創造主なる神が、私の家や周囲にある様々な神々とは、次元の違う、何かは分からないが、心を引き付けるものを感じ取っていたのかもしれません。とにかく聖書を読み、牧師の解説を聞き、質問するという学びを続ける中で、私の心の中で隠れていた罪が醜い形をとって、ひょい・・・と現れる姿を一瞬、見たような気がして慄然とすることがありました。

 それでも反発していたのですが、ある時、神は深い憐れみにより、私が自分では、どうすることのできない、罪があることを示してくださいました。天地万物を創造された、全能の神が、顔をそむけたくなる、この醜い罪を持った滅ぶべき者を救うために、全く聖いその独り子、イエス・キリストを世に遣わし、十字架の上で罰し、死に渡されたのは、実に、この私自身のためだったのです。

 私は、主イエス・キリストをこのとき、信じました。26歳夏のときです。そして、洗礼準備会の学びの後、翌年の四月、27歳で受洗しました。

 心に響く御言葉は多いのですが、ここでは、次の二つを挙げたいと思います。
 
 *旧約聖書では、創世記1章1節、「初めに、神が天と地を創造した。」

 *新約聖書では、ヨハネの福音書3章16節、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 感謝なことに、私は、はじめてお会いした宣教師と牧師、とくにこの日本人牧師の導きにより、多くのこと学びました。そして、神と教会に仕え、真摯に伝道活動に励むその姿を通して、クリスチャンとしての基本的な生き方をみさせていただきました。

3. イエス・キリストと出会ってからの私
 神を信じる前は、良くも悪くも何をするにしても、その根底では、神不在の自分中心的な生き方をしていた私でした。手当たり次第にいろんなことを試みてはみるが、はっきり言って、全ては「五里霧中」進もうとする道の前方にはいつも霧がかかり、視界不良で重苦しく、どこに落とし穴があるかもわからない、おぼつかなさを感じていました。
 
 しかし、神を信じた後は、徐々にですが、その霧が晴れて視界もよくなってきました。勿論、人とのかかわりの中で、雲の中を飛ぶようなこともあります。また、晴天であっても、心は霧の中、ということもありましたが、どんなことがあっても聖書を読み、祈り心で歩む限り、神が御言葉で道を示し、慰めと安らぎを与えてくださいました。そして、気がついたときは危険から遠ざけられ、安全な港に導かれていた。そこでまた、力と勇気が与えられ、新たな歩みを始める。そんな恵みを体験することができました。

 今、思うことは、私が生まれ、家族と人とのかかわりの中で成長し、不思議な導きによって神に出会い、救われ、さまざまの試練をくぐり抜けて来た、これら一連の出来事は、実は、世の始まる前から神がお定めになっていた。としか言いようのないものです。なぜなら、私が今、ここに在るのは、神が創造したアダムとエバから始まる人類の歴史の繋がりの中にある、一齣でもあるからです。しかし、その一齣であろうとも、神はその歴史上の一齣、一齣である私達も含め、全人類を心に留め、見守る、今も生きて働く愛と恵みに満ちた全能の神にしかできない御業だからです。



毎週日曜日は礼拝の日

高知教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週木曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時10分~11時30分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
木曜日 祈祷会
朝の部:10時00分から11時30分
夜の部:夜の部は現在休止中です
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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