教会員の声(救いの証)R.O.さん

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教会員の声(救いの証)R.O.さん

高知教会の教会員による証しを少しずつ紹介していきます。今回は、R.O.さんの救いの証しをご紹介します。

「救いの証」

R.O.姉

1.イエス・キリストに出会う前の私
 私は母の信仰によって幼い時に幼児洗礼を受け、契約の子として育ち、物心ついた時から自分の人生の中に神様がおられる事が当たり前の日々を過ごしていました。幼くてもその年齢その年齢の感性の中で、疑うことなく自然に神様を信じ、お従いし、祈り、自分の支えとして歩んでいたように思います。母も、子どもたちに信仰を継承することについてはとても強い意志をもって教育していました。学校へ通うようになると、周りには教会を知らない、神様を知らない友だちがほとんどでしたが、教会の夏のキャンプやクリスマス礼拝には何のためらいもなく、たくさんの友だちを誘って教会に行きました。高校と大学はミッションスクールへ通っていたため、学校の課題で教会に行かなくてはならない友人たちを積極的に自分の教会へ誘いました。小さな時から日曜学校で過ごしてきた友だちの中には、教会から離れていく人も少なくありませんでしたが、私にはそのような時が訪れることがなかったことは、ひとえに神様のお守りであったと今も感謝しています。

2.救い主イエス・キリストとの出会い(私の場合は信仰告白式にいたるまでの歩み)
 そのように育った私には、神様やイエス様に対する疑い、また改めて信じるかどうか、という問いは自分の中に起きたことがなく、いつも神様に喜ばれるように歩んでいきたい、と子どもながらに思っていました。けれども高校生になった途端に、教会の中で「そろそろ信仰告白をする時期だね」と声をかけられるようになってから、果たして自分の信仰はそれに相応しいのだろうかと考える様になりました。私は人に相談する、牧師に相談する、ということをしない性格であったので、悩みや葛藤があれば、とにかく聖書から聞こうと御言葉を読みました。そしてその中で神様の御心について、信仰者として自分のとるべき姿勢について必死に探す時期もありました。それでも、自分が信仰告白をするに十分であるという結論には至りませんでしたが、牧師先生が今の私で十分だと言ってくださった事をきっかけに、他の契約の子であった同世代の友人二人と一緒に学びを受け、信仰告白式を迎える事になりました。その前もその後も、聖書の言葉も神様の事も信じる気持ちに変わりはありませんでしたが、個人的にイエス様と出会っていたのかどうかの確信はありませんでした。

3.イエス・キリストと出会ってからの私
 私は大学生になり、大学の先生の通っていた教会の特別集会に誘われて参加したことがありました。母教会以外の礼拝にはほとんど参加したことのなかった私は、とても新鮮な気持ちで参加しました。その集会の終わりの祈りの時、司会者の人がこう祈りました。「イエス様、私には愛がありません。あなたを愛する事を教えて下さい。あなたを愛する心をお与えください。」その時、私に欠けているものが何であったのかをはっきりと知らされた気持ちになり、一緒に祈りながらポロポロ涙がとまりませんでした。私は生まれた時からずっと神様を迷いなく信じ、祈り、頼って生きてきたけれど、イエス様の愛にお応えして、私もイエス様を愛する、という言葉を祈った事がなかったのです。そして自分の中に本当に愛がないことも、言葉にして初めてはっきりと自覚したのでした。その時から、私の内側から何かが剥がれ落ちていくように変化が起き始めたように思います。  

 当時熱心に夢を持って学んでいた音楽も、すべて神様にお捧げし、音楽をすることも神様の栄光のために、そしてもし音楽を神様が取りさられるならばそれも御心のままに、という思いで学びに取り組むようになりました。そして何よりも、私の内なる人がいつも溢れる喜びで満たされるようになっていきました。周りの人が見てもそれは明らかであったようで、「Rちゃんはいつも嬉しそう、幸せそう」と言われました。何がそんなにも私を喜ばせているのだろうかと私も考えてみました。その時はっきりと確信したことは、「私の内に聖霊が住まわれている」という事でした。私は理由もなくいつも本当に幸せな気持ちであふれていると思っていましたが、その幸せは、聖霊なる神様と共に生きているからだと分かったのです。その時私は、これ以上に幸せな生き方は他にはない、だとすればこれを他の人にも伝えたい、教えてあげたい、と強く思うようになりました。私の生まれつきの性格は、内気で人見知りの強い、そんな人でした。だからもし私が神様と生きる喜びを伝えたいと願っても、その性格では多くの人に伝える事は難しい、本当に近しい人や、信頼関係の作れているわずかな人にしか伝えられない、と思いました。ところがその時から、神様はまるで手品のように私の性格までも変えてしまいました。私は、初対面であろうと目上の人であろうと、老若男女、どんな人とでも恐れる事なく人と接する事ができるようになり、むしろ人との出会いが楽しみにさえなりました。内気であった私は積極的な人に変えられ、人の輪がどんどんと拡がっていきました。私は神様と生きる喜びを人と分かち合うために造り変えられたのです。どの時点でイエス様を受け入れ救われたのか、そしていつ聖霊なる神様が私の内に住まわれるようになったのか、その日をはっきりと告白することはできません。けれども私の信仰の歩みはこのようにして確信へと導かれ、今に至っています。すべての事にただ感謝を捧げ、すべての栄光を神様に帰します。

毎週日曜日は礼拝の日

高知教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週木曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時10分~11時30分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
木曜日 祈祷会
朝の部:10時00分から11時30分
夜の部:夜の部は現在休止中です
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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